小田原の梅は歴史が古く、戦国時代の武将北条氏が統治していた以前から梅の栽培が行われていたと言われています。江戸時代には、東海道を行き来する旅人が箱根八里を越える際に弁当が傷むのを防ぐため、また、道中での喉の渇きをいやし、旅の疲れを回復させるための必需品として梅干を利用していたことから「東海道中膝栗毛」にも小田原の梅が登場します。

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